

”珈琲”
ブログで書いた事はあると思います
10代後半から20代前半まで、私はコーヒー専門店で働いていました
カウンターだけのお店で、サイフォンで淹れていました
大して味もわからん若造が、ネクタイして淹れていたのであります
それなりにカッコ良くは見えたかもしれませんが
ブラックでコーヒーは苦手で。。
一応?珈琲には、こだわったお店だったので、それなりに勉強にはなりましたが。。
私の楽しみはそこではなかった。。のが事実です
若いので、忙しくバタバタするのが好きでした
正直。。暇なお店だったので。。暇を持て余していました
好きなレコードをかけたり出来ましたが。。
邦楽音楽は流さないお店だった
私がその頃に聴いていたのは、ERIC CLAPTONやPINK FLOYD。。
ちょっと朝からは。。どうかと思う感じの音楽でしたので
一日中好きな音楽を聴けたわけではありません。。
苦痛な?。。私にとってはですが。。
そう言う自分と趣味違いの音楽を鳴らすのは。。ちょっと嫌だったし
恥ずかしかった。。な。。
若い体は、”忙しい”を求めていました
平日は閑古鳥。。でも日曜日だけは、まあまあ忙しいお店でして
特に日曜の朝は、戦い?でした
私にとっては最高に楽しい朝でした
それは。。日曜の朝になると、近所のママさんソフトボールチームが
練習後?試合後?に、10人くらいでお店にくてくださるんです
一気に、注文が入ります
コーヒーは勿論のこと、ミックスジュース、サンドイッチなどなど
それを一人で用意するわけです
わたしは助けを呼ぶのが嫌だったと言うか。。
一人で全部したかったので、誰が助けなんぞ呼ぶもんか。。
気合いが入ります
ほぼ同時に。。全てをお出しするには。。どう言う段取りでするか。。
サイフォンのコーヒーが落ちる間に、何ができるか?
それを考えてするのが、もう楽しくて楽しくて。。
全部出し終わった時の快感。。そう、快感。
たまらんかったです
”音楽”
小さい頃から歌は好きでした
聴くのが好きと言うか。。人前で声を出しては無理なんで
聴くばかりの好きってことです
自宅では両親が縫製の仕事をしていました
狭い市営住宅でした
仕事場で一つ部屋を使っているので、自分の部屋なんぞありません
電動の工業用ミシンの音が、夜の11時くらいまで、鳴っています
仕事しながらAMラジオを両親が聴いていたので
自然と、歌謡曲、演歌が流れて来ます
テレビは歌謡曲全盛ですから、たくさんの歌番組がありました
おねいちゃん、おにいちゃんはおらんので、音楽知識はテレビのみ
天地真理さん、山口百恵さん。。淳子ちゃん。。アイドルと呼ばれる人がたくさんでありました
暗い性格もあってか。。演歌も好きでした、友達には言いませんでしたが。。
中学一年になった時、小豆島のおじさんに「お祝いに何が欲しい?」と聞かれて
「ギター」と言いました
小豆島にギターを売っているお店は当時ですが、文房具屋さんでした
そこに連れて行かれて。。お店に2本だけフォークギターが吊るしてありました
「どちらにしましょうか?」お店のおばさんが聞きました
おじさんは「高い方(金額)」と答えて、それを持ち帰りました
めちゃくちゃ嬉しかったです
自宅に帰って一生懸命練習をしましたが。。
うまく出来ません。。Fコードが上手く鳴らんのです
”なごり雪”が引きたかったのですが。。Fコードで。。苦戦
Fコードの無い曲を選んでました。。
ある日、父親が「うるさい!下手なギター弾くな」と。。
昭和の時代の悪いとこです
感情むき出しで、生きてゆけた男たちの時代ですから。。
今大人になって思うに。。たぶん。。
おじさんへの嫉妬が、父にあったのかもしれません
自宅でギターは弾かせてもらえなくなったので
近所の友達とこにギターを持って行くようになりました
その頃。。テレビで「モーリス持てばスパースターも夢じゃ無い」って宣伝ありました
友達もそのメーカーを持っていました。
他の人も。。それなりにヤマハとか聞いたことあるメーカーのギターでした
小豆島のおじさんに買ってもらったわたしのギターは”takeharu"とヘッドに書いていました
私は、メーカーなんぞ気にしていなかったのに。。
友達がバカにし出しました
「北田のギターは、たけはる〜」とか言って。。
なにがおもろいんだか。。レベルの低い。。
聞いたことなかったメーカーだったんでしょう。。
あまりにバカにされたので、人前にそのギターを持って行かなくなりました
中学一年ですから。。そんな程度です
とうとう。。タンスの上にギターは置かれてしまいました
35歳くらいの頃、”訳あって”ロックバンドという遊びをする事になりました
毎週仕事終わってから2日ほど、スタジオに行って練習してました
その時に、唯一持っていた”takeharu"ギターを持ってゆきました
ギターの上手い友達がそれを弾いて「ええ音してるやん」と。。
お店の人が、「”takeharu"って、」バイオリンメーカーが作ってるギターなんやで
って。。教えてくれて。。ちょっと嬉しかったな・・
それから5年間バンドで遊びました
今までした遊びで一番楽しかった遊びでした


誰も私の若い頃の話に興味はないでしょう。。
でも、ここブログは私の世界なので、勝手に書きます
「今までした遊びで一番楽しかった遊びでした」
はい。。車よりもずっとずっと楽しい遊びでした
このバンドをするきっかけは。。ちょっと文章では書きにくいのと(表現)
わたしの初めての”挫折”?になるのかな。。
簡単なチープな言葉では書きたくないので。。書けません
5年の間、バンドをして遊びました
一年に一回だけ、年末にLIVEをするとみんなで決めました
年末へ向けて、毎週2回スタジオで練習です。。が。。
わたしは練習よか、その後のミーティング?が楽しくて楽しくて。。
私はギター担当でしたが、前に書きましたように、
タンスの上にあるギターですので、全く弾けませんでした。。
とりあえず、コード押さえてガチャガチャ鳴らすだけ
Fコードは鳴らせるようになったくらいかな。。
他のメンバー(リードギター、ベース、ドラムス、キーボード)は出来る人たちで
ドラムス担当(めちゃめちゃ上手い、本来はギターリスト)は現在、一応プロみたいなので。。
わたしだけが楽器出来ないのですが、”歌詞”はわたしが担当していました
いちおう。。すべて、オリジナル曲でした
わたしの歌詞の中の世界で。。全てが動いていました
歌詞先行、曲はそれに合わせて作ってくれました
その歌詞の中の一節が、現在の”Garage Breathe"のロゴとキャッチフレーズ?となっております
ぶりTの”Breathe"ロゴの下のうだうだ書いているところです
わたしが英語を付けたわけでは無く、歌詞の一節をキーボードの方が英語にしてくれました
上記写真が、1995年2回目のLIVEの告知ポスターと
モデルさんは、キーボード担当の女性です
当時わたしの友達(バンドメンバー)がデザイン事務所を経営していました
その繋がりで、プロのカメラマンとかが結集して、作ったポスターです
よく見ていただけば。。バックは”Garage Breathe"の工場なんですよ
自分の歌詞が、曲をまとった事で、音になって、各自に表現されて
一つの音楽になって行く。。最高です
わたしはそれに満足してしまい。。ギターの上達は二の次でした
そうなんです。。”Garage Breathe"と、このバンド話は、離せません
わたしにとってのBMW E30は、音楽と密接に繋がっているのでした
”BMW E30”
また今度。。続き書きます









